読書メモ:弱者の戦略、日本プロテスタント海外宣教史、日本のキリスト教は本物か?

先月は急に引っ越しすることになったり荷物を運んだり新しい仕事が増えたり引っ越し疲れで倒れたり…。なかなか本が読めなかった、と言いつつそれなりには読んでましたが(笑) ただゆっくり座って読書メモを書く時間が取れなかったことは確か。やっと一息つきつつまとまった文章を書く余裕が出てきました。ちょっと落ち着いてきたかな? ということで…

book3

稲垣栄洋「弱者の戦略」

生物学、生態学からの「負け組応援歌」。強者の真似をする必要はないし強者の土俵の上で相撲を取る必要もない。小さくて弱いけど生き残る道がある、いや、小さくて弱いものにしかできない斬新で巧妙な作戦があるのだ!

なぜカゲロウのような短命で食べ物はおろか水も飲めない虫がなぜ今日まで生き残っているのか? マナケモノにも生き残る戦略がある!? 女装する魚がいる!? 気になった人は読んでみよう(笑)!

読みやすいし、人生のいろんなところに即適用できるし、創造論者なら「神の想像ってこんなにユニークで面白いの?」と舌を巻くことになるの必死。創造論に立たなくたって、この生態学の機微に感嘆しない者はいないんじゃないかと思う。

この本を読み終わるときっと「弱くてもいい、いや、弱いなりに生きていこう」と思えるんじゃないかと思う。でもそうやって思い返してみると、自分自身の中に深く埋め込まれている「強者への願望と強者の標準化」は凄まじいものがあるのだと考えさせられてしまう。何故強くなければならないのか、なぜ「勝ち組」でなければならないのかと問うことなしに気がつけば強者のルールの中で負け戦をさせられているんじゃないか。私達はほんとにユニークに創造されているのかもしれない、この本に登場する生物たちが示してくれているように。それはありきたりの「あなたはオンリーワン」という言い古されたメッセージではなくて「あなたがナンバーワンだからここにいる」という興味深いメッセージ(詳しくは本書を読んでください)。

これを書きながら思ったけど、一時期の「ナンバーワンにならなくてもいい、もともと特別なオンリーワン」のキャンペーンも振り返ってみたら、社会の強者たちが弱者に「自分が弱者である」ということを認識させないための巧妙な戦略だったのかもしれない、結果として…。強者と弱者、色々考えさせられる。

book1

中村敏「日本プロテスタント海外宣教史」
最近手を付け始めた仕事の資料として買ったのだけれども、これがまあホントに面白かった。考えさせられることが多かった。

歴史の授業だと「宣教師を植民地化のつながり」はうっすら習った記憶がある。一番典型的なのがザビエルでありポルトガル。あるいは南米大陸の歴史にも見られるパターン。でも日本でもそれと同じ構図があったのである。すなわち帝国日本の植民地支配の一助としてのキリスト教伝道である。実際軍部や朝鮮総督府からの多額の援助を教会が受けていたりするのである。そして、それが当時すでに問題になっていた。

かと思えば、乗松雅休のように自分自身のみならず子どもも朝鮮語を話し日本人(=支配者)としての特権を放棄してひたすら挑戦の人々の中で生きた宣教師がいたということも考えさせられる。でも、そんな人がいたということすら私もこの本を読むまで知らなかった…。そして本書で指摘されているように乗松ですら、やはり明治人の限界の中にいたのだということにも考えさせられる。彼も決して歴史の審判の前に無罪放免ではない、完全に挑戦の人々の側に立つことができたわけではなかった。

私達は歴史的存在で、歴史の限界の中に生かされているのだとあらためて思う。この時代の空気は良きにつけ悪しきにつけ私達の真髄に染み込んでおり、私達の意識を縛り私達の意思決定を方向づけている。それが一体どういう方向性であり大きな歴史の流れの中でどのように位置づけられるのかは少なくとも何十年後にならないとわからないのだろう。ただ少なくともそのような制限の下に生きている有限な存在である、ということは事ある度に思い起こしていたいと思う。

もう一つ心に留まったのは発展途上国で奉仕する宣教師の苦悩である。

荒川(義治・和子)宣教師自身は、(南洋の)ポナペ島伝道は本来ポナペ人がなすべきであり、自分は背後にあって彼らの自立を助けるヘルパーに過ぎないと繰り返し彼らに語ってきた。しかし300年来外国の植民地支配を受けてきた結果として、ポナペ教会には依存精神が全ての面で染み付いている。……荒川宣教師はそのような現実の中で一生懸命やればやるほど、現地の人の依存根性を助長するだけではないかというジレンマと戦いながら奉仕を続けた。……(東マレーシアのサラワクのイバン族伝道に携わっていた荒川純太郎も)ポナペ島の荒川宣教師が格闘したのと同様な現地の依存根性と苦闘している。そしてその葛藤の中でついに、「自分がそこにいるだけで、現地の人の依存根性を助長するならば断然辞めて帰ろう」と決意し、1981年に帰国した。この問題は海外宣教の根本に関わる問題であり、発展途上国で奉仕する宣教師の多くが直面する問題である。p210

「自分がいないほうが断然良い」と判断して帰国するとは、なんと過酷でかつ強い決断だろうと思う。この荒川宣教師の言葉がずんと心に響いた。その苦悩は幾許かと想像する。それでも、他者のことを思って究極の決断をする姿勢に学ぶところは多い。

宣教する側、支援を提供する側に立つのは確かに楽ではないけれども、実は麻薬的な快感が潜んでいると思う。常に相手より優位に立つことができる、自らの有効性や有益性を目に見える形で確認することができる、特に自分自身に劣等感や蔑まれたり無視されたりした古傷が残っている場合は…。相手にとって最善は何か、常に考え続けて感じ続けていかなければいけない。ある時の最適解は次の瞬間には効果がないどころか相手の力を奪い自らへの依存に貶める悪魔のチョイスに変わっている可能性だってあるのだ。何が相手にとって祝福なのか、心でも理性でも問い続けていきたい。

「伝道」とか「布教」とかは政治を超越したものなるが故に、すべて「聖」であり、「善」であると思いがちであるが、個人の主観と客観的役割とが合致しないことは意外に多いのである。従ってその点については、伝道者たるもの厳に自己を戒めなければなるまい。そうでないと、「小善」が「大悪」に転化することにならないとも限らないからである。(仏教者中野教篤の言葉)p141

book2

古屋安雄「日本のキリスト教は本物か?」
副題に「日本キリスト教史の諸問題」とあるけれども、正直日本教会史にある程度精通していないと本当の意味では読めない本かなと思う。でも提示されているトピックはどれも興味深いものばかりだったと思う。メモ書き代わりに…。

明治期のキリスト者はなんでChurchを教会と訳してしまったのか? 基督道ではなく基督教と訳してしまったのか? 牧師が「先生」だし説教は「教えを説く」ということ。だから教会が文字通り「教える所」すなわち学校のようなところとなりある程度のことを学んだら「卒業」したり「中途退学」してしまうのではないかという。ああ、なるほどなあという感じ。韓国のキリスト教が聖書の神について「ハナニム、唯一なる方」という呼称を発案して他の宗教との違いをはっきり示すのに成功したのと対照だと思う。名前をどうつけるか、というのはホントに大切なことだと思う。古屋先生は基督教じゃなくて基督道、教会ではなくて公会のほうが良いのではと言っておられるけどほんとそうだなあ…。

あと、戦前の教会と政治、特に社会主義との関係も触れられている。僕はあまり詳しくないけど、それでもなぜ教会があんまり政治に関わらないのか、その源泉は戦前からすでに合ったのだなあと思った。

エッセイに近い文章が色々まとめられているのだけれども、最後の数章は良心的兵役拒否から憲法九条の話へと流れていく。去年「平和主義とは何か」を読んだのを思い起こさせる。今まで気が付かなかったのが恥ずかしいけれども、そうか、憲法九条は国を上げての「良心的兵役拒否」ということなんだよなあ。国民一人ひとりのレベルで「良心的兵役拒否」ということが考えられて腑に落ちないのに国家レベルでそんなことができるわけないのかもしれない。

こういう話を書いているといろんなことが頭をよぎる。学生時代に教会に来てくれたクリスチャン自衛官の方の顔、沖縄の友達の語ってくれた基地の現実、そして叔父の牧会する横須賀米軍基地のすぐ近くの教会の人々の顔も…。いろんな人々の顔を思い浮かべると、安易な結論は言えないと思わざるを得ない…。

そうそう、この本の中でも新島襄や賀川豊彦など、日本キリスト教史に必ず出てくるビッグネームたちが決して「功」の部分だけではないことがよくわかる。歴史的存在として、とくに帝国日本や教会の国家観との関わりの中で「罪」の部分も少なくなかったのだと考えさせられる。いろんな意味で、歴史に直面することは即効薬にはならいけれどもジワジワと効いてくる。

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