「結婚の意味」前半 読書メモ

ある方からご好意で頂いた本。ほんとにありがたく読ませていただいてます。

まだ半分まで来たところですが、「感想聞かせてね」と言われているので中間報告がてら自分の整理のためにも書き留めておく。

キリストを恐れる

いきなり結婚とは直接関係しないところからですが。著者は結婚について取り組む土台としてキリストへの恐れが必要と語る。そしてここで言う恐れとは、神から罰せられることへの恐れや救いから堕ちることへの恐れではなく、むしろとてつもなく偉大なもの、とてつもなく壮大なもの、私の想像を超えるほど大きなものを目の前にした時に抱く感情であるという。つまり、神が何者であるかと言うことへの畏怖であり、その方が小さき弱き私をどう扱っておられるかということへのありがたさと言うかかたじけなさと言うか、そういうもの。(いまふっと出てきたけど、かたじけないって日本語いいね、ぴったりだ。)神をキリストを無意味に怖がる(=本質を知らずにイメージだけで怖がる)というイメージから、創造主なる方の配慮の圧倒的な深さ、私みたいな壊れて腐った人間へのかたじけない取り扱いにひれ伏さざるを得ない、そういうイメージへと転換するだけでものの見方がガラッと変わるのだなぁと思う。

(ちなみに、意識して「神の愛への恐れ」という言葉を使わなかった。時に愛っていう言葉はブラックボックスで記号でしかないような気がする。)

霊的形成と結婚

ここ1、2年ぐらい、霊的形成っていうことに興味を持っているのだけれども、この本を貫くテーマもある意味霊的形成と言っていいのだなと思う。

(結婚の目的とは)将来、神が私たちを栄光に輝く姿に変える方向に向かって、つまり新しく創造されるプロセスにおいて、互いに助け合うためなのです。p167

お互いがキリストに似たものへと変えられていくために結婚をするのだ、ということ。

立派で完成した彫刻としての結婚相手を探すのではなくて、大理石の塊を探したほうがいい。イエスの働きによってその大理石がどう彫り上げられていくかをそばで観察できるからだ。p169 パラフレーズ

結婚するということとイエスの姿に変えられていくということが密接に関わり合うとはっきり書かれていることがすごく励ましになったし、正直心躍るビジョンだと思う。結婚だけに限らないけれども、誰かが変えられていくその姿を間近で見ることができるなら。それは作品の制作過程を一番間近で見ることができるということ。まぁ、実際にやってみると「げーこんなつもりじゃなかったぜー」ってゼッタイ思うんだろうけどね(笑) そして相手にもゼッタイそう思わせるんだろうけどねー(笑)

でも、「げーこんなつもりじゃなかったぜー」こそがスタートラインらしい。「相手の深いところにある欠点、弱さ、依存的な傾向を知らないのでは、スタートラインにも立てません。p171」

「げー、こんなつもりじゃなかったぜー」って将来思うときのために書いといてやろう。おめでとう、そこからやっと全てが始まるんだよ。